2008年01月20日

死とはなんだろう?

いつもながら訳の分からない事ばかり書き散らかしておりますが(笑)、今日もまた、ひたすらに意味不明なことばかり、ただ単に書いておこうと思います。

メインテーマはタイトルにも書いたとおり、かなりの人に距離をおかれそうな話題、「死」についてです。

1週間前は、じいちゃんが死んでからちょうど1年、そして今週後半には、ばあちゃんが死んでからちょうど4年目の日を迎えます。ここ数年、長いこと一緒に暮らしてた家族の死が続いたこともあり、死について考えることが多かったですが、先週の半ばには、友達のゴルゴKSWG氏のおじいさんが亡くなられたという話を聞き、ちょっと「死」というものについて考えたことを書いておこうかなと思った訳です。

とは言ったものの、正直なところ、「死ぬ」とはどういう事なのか、全く分かりません。それどころか、「生きる」という事がどういうことなのかも分かりません。「何か」が「存在する」という事も、「存在しない」という事も分かりません。特に、「自分」というものが「存在する」という事が分かりません。

「愛」とは何なのかも全く分かりませんが、数年前までは、家族に対して感じている感情は「愛」ってやつなのかな?と、ぼんやり思ってた気がします。でもここ最近は、それはただの「執着」ではないか?と思っています。例えば対象が自分の好きな音楽であれ、誰か好きな女の子であれ、何か特定のものに限定されたものならば、それは「愛」ではなくて、全てただの「執着」ではないか?とも思います。

ここ最近読んだ「死」について書かれた文章で、思わず泣きそうになった一節がありました。

わたしはその落葉を見、木に繁った何千もの葉を見た。冬がその落葉を母なる木から地面に散らし、それはじきに乾き、凋み去るだろう。そして風に飛ばされ、行方が分からなくなるだろう。


何か、「死」というものは、恐れたり悲しんだりするものではないような気がします。

体だけでなく、心の境界も分からなくなっていく、、、

前の日記でもちょっと書きましたが、生きながら死を実感するというような事があるんだろうか?とか、死と共に生きるという事をず〜っと考えてる気がします。
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posted by コーキ at 22:29| 東京 ????| Comment(8) | TrackBack(0) | 03_日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
やはり昨日のやりとりぐらいしかいい考えはなかったね。俺はね。またいいとっかかりできたらだね。
Posted by at 2008年01月22日 18:02
なかなか面白いやりとりだったな、、、ありがとやんす。

あのメールでのやりとりの後、前に読んだ「水の中にいて、水を知らない、見たい、見えないなどという魚は、確かに狂っている」という文章を思い出したよ。

認識しようとする必要なんて、そもそもないのかもしれねーなー。
Posted by コーキ at 2008年01月22日 23:02

なるべく、考えたくないテーマだったよ、、、心の準備をしたくないテーマですね。個人的には「死に対する恐怖」が大きすぎて、死のテーマの入り口で、思考停止してる感じ。。そこからブレークダウンするのが怖いわけです。。。。
Posted by 広島人/かばち家大福 at 2008年02月02日 11:14
俺もまだまだ全然恐怖あります(笑)。

思えば高校生の頃、死ぬのが嫌で嫌で、そして怖くて、だけどもいつか必ず訪れる死を何とか自分の中で受け入れられるようにするために、よく死についてあれこれ考えてた気がするよ。Y田さんと通学電車の中で、よく死についての話をしてた記憶もあるな、そういえば、、、あの頃は「永遠に死ねずに自分という存在が生き続ける」という場合の事を空想して、
「不老不死なんて恐ろしすぎる(((( ;゚Д゚))))、、、例えばマグマの中に落っこちて、想像を絶する痛みとか苦しみを味わいながら、それでも死ねずに意識が永遠に持続するなんていう状態は絶対に嫌だ。死ぬ事ができるのは、むしろありがたい事だ。」といった具合に、どうにか死を肯定しようとしてた気がする。

でもず〜っと考え続けても、なにか完全に納得できる結論なんて出ないままで、大学生の頃には、「生まれた以上は必ず死ぬように宇宙はできてる。そして死んだらいずれ体は塵みたいに拡散して、脳ももちろん無くなるわけだから心も消滅する。ただそれだけ。魂とか言われる、肉体とは別のものなんてあるわけない。物質の働きとして心が生じてるだけだろう。」っていう感じに考えて、その後は特に考えが変わる事はなかったな。

ただ最近は、そういう風な観念とか結論みたいなものを保持する必要が、そもそもないような気がしてた。結果的には、生と死を特に分けずに、だけどもそれらを含んで色々と考えている感じだな。よく分からんス。
Posted by コーキ at 2008年02月04日 00:52
落語の世界でも死に対する概念はもちろん
あります。どうも「面白おかしくして、
死ぬ事を滑稽にしよう」という空気を感じ
ます。

例えば「地獄八景亡者戯(じごくばっけい
もうじゃのたわむれ)」という上方の演目
があります。

〜現世に飽きた金持ちが「地獄めぐりツア
 ー」をやろう!と言う。取り巻きを連れ
 てふぐを食って死に、地獄へ旅行に行く
 と言う設定。

まるで「海外旅行」にでも行くような軽さ
です。

とかく、死を軽んじて、怖さから逃げたい
ところを話しにしたのでしょうか。。。

そういう世界観、個人的には好きですね。
個人差がありますが、、、

長文失礼。
Posted by 広島人/かばち家大福 at 2008年02月08日 21:00
落語の発想は俺も好きだな。タイガー&ドラゴン的な感じは特に大好きなり(笑)。

でも、好みってのはやっぱりず〜っとある気がするし、それは特に否定する必要がない気もするけど、世界観ってのはいらねー気がするなー。世界観(観念)ってものを持ったとたんに、「あの人の世界観」と「この人の世界観」っていう分離ができて、それは必然的に対立につながる気がするな。全く意識すらされないような対立から、戦争に至るまで、程度の差はもの凄くあるにせよ、、、

天国、地獄、生、死、魂、輪廻、、、
こういう世界観は一体なんなんだろうな?
Posted by コーキ at 2008年02月09日 15:51
天国、地獄、生、死、魂、輪廻、、、
難しいな〜。

全部人間が作り出したものだし。
全部「物体として存在を確認するのが
難しい」ものだな。

よって、いかようにも「それぞれの視点」
が存在する。この視点が対立を生んでる
がもしんね。。。

思い切って「どれも正解!」と言った方が
いいど思う。

Posted by かばち家大福 at 2008年02月20日 20:19
うむぅ、、、「どれも正解!」、「どれも不正解!」、「どれかは正解で、どれかは不正解!」、、、

よく分からんが、「どれも不正解!」なのかも知れねーすな。

そもそも、そういう事を始めとして、諸々の判断を下す中心としての「自分」っていう存在を仮定してる事が、全ての問題を生じさせてるのかもな、、、
Posted by コーキ at 2008年02月21日 22:39
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